INTERVIEW 過去参加者の今だから言えるホンネINTERVIEW

インタビュー者名前
奥村 健一朗
名古屋工業大学大学院
社会工学専攻

「文脈」を大事にしている
デベロッパーだと聞いたから、
仕事を直に体験してみたかった。

土地が持つ背景を無視した開発はしたくない。

――大学・大学院を通して、どんな学生生活を送ってきたか教えてください。

学部時代の3年間は建築の基礎やデザインを学び、4年生で研究室に入ってからは、路上の駐車スペースなどに人々の憩いの場をつくり出す「パークレット(parklet)」の社会実験に取り組んできました。そうした試みの一環として、 現在も三重県の桑名市にある水辺空間にパークレットを設けながら、地域の観光を盛り上げる活動をしています。
また大学3年には、親しくしていた居酒屋のオーナーさんに頼まれて、南の島をイメージしたビアガーデンをつくったことも。大学の仲間たちに声をかけ、設計から施工まですべての作業を学生の手で行ったその屋上ビアガーデンは、 オーナーさんにも満足してもらい、毎夏営業が続いています。

――そのように実践的な活動をしてきた奥村さんが、
就職に対して抱いていた想いとは?

収益を重視して建物を建てることから始まる都市開発でなく、「土地の歴史やそこに住んでいる人々と真剣に向き合う開発がしたい」と考えていました。これは研究室の先生の影響でもあるのですが、土地の背景を無視したような「文脈のない開発」には違和感を持っていましたので。
その意味で日鉄興和不動産は、自分が最も共感できる会社だったと思います。学内で開かれた企業説明会の場で、釜石の復興公営住宅や北九州の総合開発について話を聞くなかで、「地域への情熱に間違いはない」と感じることができたため、仕事内容をより深く知りたくてインターンシップに応募したんです。

東京に楽園のような住まいがあった。
固定観念にとらわれない着想に感服させられた。

――就業体験をした部署では、大規模マンションの開発現場に配属されたんですよね?

はい。自分は以前、南の島をイメージしたビアガーデンをつくったことがあると言いましたが、就業体験をした都市創造部で偶然にも南国リゾートを想わせるマンションが開発されていたんです。江戸川区の東葛西にあったその物件のコンセプトは『TOKYO ALOHA PROJECT』。 建物のエントランス付近には、ヤシの木などの南国の植物が鮮やかに配置されており、内装もハワイ在住のデザイナーに依頼するという凝りようで。まさに楽園のような住環境が実現されていました。
しかしながら、都内としては奇抜なコンセプトの物件ですからね。初めのうちは社内でも「これは売れないのでは?」と危惧する声があったらしいのですが、フタを開けたら即日完売だったとか。

――東葛西でなぜALOHAなのでしょう。

入社3年目でこの物件を企画した方によれば、江戸川区は都内でも公園面積が広い区で、葛西のあたりは海や川もそばにある。自転車や徒歩で気軽に水辺などへ行き、のんびりとした時間を過ごせるロケーションであるところから、「スローライフ」をテーマにしたのだそうです。 その土地を深く理解して、ポテンシャルを掘り起こし、固定観念にとらわれない発想で物件をつくり上げていく手腕、凄いですよね。

大型プロジェクトが相次いでいる赤坂・虎ノ門。
いずれは自分もこのエリアの開発に。

――都市創造部で触れた案件は一つだけですか?

いえ。2日目は新規のマンション建設が予定されている西葛西の用地を見に行くことになり。現場へ向かう道すがら、物件の企画・販売をするうえで重要な街の見方を細かく教えてもらいました。そして会社に戻ってからは、「自分ならどんなマンションをつくるか」 という企画に取り組んでいったのですが、現地を歩きその土地の文脈を読み取った後だったこともあり、イマジネーションが膨らんで…。時間が過ぎるのを忘れるぐらい没頭できました。
また、考えた案を社員さんに提出すると、部署の人たちが次々に寄ってきて。企画内容をより良いものにするためのアドバイスをくださり、その親身でフレンドリーな対応に触れながら思ったんです。入社したら、こんなにも恵まれた環境のなかで仕事ができるんだな、と。

――将来、日鉄興和不動産でどんな仕事に挑戦したいですか?

日鉄興和不動産は秀でた企画力を持つデベロッパーだと思います。今年、他社とのコンペに競り勝って、虎ノ門二丁目地区の再開発案件を獲得できたのも、他社とは一味違う提案内容そのものが評価された結果だと聞いています。 赤坂・虎ノ門エリアは日鉄興和不動産が力を入れている地域でもあり、個性の光るこだわりの開発がこれからも続いていくことでしょう。ですから自分も、ビル・マンションの総合的な経験を積み、企画力や提案力を磨いた後は、このエリアの開発に携わりたい。 受け身ではなく能動的なスタンスで、この街の国際的な競争力を高める仕事に挑みたいと考えています。